2015年10月27日火曜日

結婚式とお葬式と人との触れ合い方



週末だし少し朝寝坊しようと思っても6時近くになれば放し飼いにされてる鶏たちのコケコッコーで目を覚まさざるを得ません。ブシアに来てあっという間に一週間。到着した当日は緊張もしたし、いかにもアフリカの農村という雰囲気に圧倒されましたが。街灯も少なく夜には真っ暗になってしまうし、なんだか茨城の農家のおばあちゃん家を思い出します。
スワヒリ語で白人を意味するムズング(mzung)を道端の子供に連呼されまくったり、チャイニーズチャイニーズシャウトされる洗礼も受け、最初こそオドオドしたものの、得意のしれっとふるまうことで、顔見知りも少しづつ増え、自分ではブシアになじみつつある、、つもりです。

自分自身初アフリカで、こちらの人と接するにあたって気付いたのは、身の回りの生活環境こそ違えど人の考え方や感覚は同じ、というか、全然理解できる範囲だなという事。当たり前だけど。
途上国慣れという言葉には語弊があるかもしれないし、そもそも途上国って一体何なのか。途上国という言葉自体、日本や欧米諸国が自らを先進国としたときにその他の国を途上国と位置付けることで、ある種のステレオタイプが間違いなく存在していて、日本に生まれて教育を受けて大学でも国際関係を学び、今回NGOの一員として研修する上で援助やボランティアというものついて考える中で、皮肉にもその自分の中のステレオタイプみたいなものをどんどん固めてきてしまった部分もあるように思います。

こうしたフィルターを通して物事を見る事は、実際現地を知るうえでプラスに働く事も有るかも知れないけど、現実を歪めて捉え、そのまま相手に接することも容易にしてしまう。
自分は人と関わるのが好きだし、環境やバックグラウンドが異なる人と新たに関わるときに、上とか下とか関係なしにありのまま接することを心がけてきたつもりだけど、今回改めて、そうしたものの見方の大切さに気づく事が出来た気がします。人と接する上で誰一人として同じ人はいないのでそこで感じた違いと「途上国だから先進国だから」を全てイコールにすることは出来ないし、それはまた別の話だなということ。その地に暮らすひとりひとりであることを忘れずに接することが必要だし、精神衛生上も良いように思いました。
これは今回の経験に限らなくて、震災後のボランティア活動を通して東北の方々から学んだことでもあります。決して途上国やアフリカと、被災地や東北を一緒くたにしているのでは無くて、現場をみる目や人と接する上で自分の思い込みや作られたイメージというものは少なからずあるし、それに気づき意識することは常に必要だなと感じたということです。

という、なんだか読み直したらポエム全開な上にごく当たり前のこと過ぎて恥ずかしい。決して病んでいません。笑

今日は午前中近所で大規模なお葬式が行われている一方で、滞在先のホテルでは夕方に結婚式の披露宴が行われていました。一夫多妻制の残るケニアですが、近年はかなり減少傾向にあるようです。とは言っても家庭内で正式に妻にしないなけで“mpamgo wa kando“といって家庭の外にもう一人奥さんをもつという少し違う形で今も存在するようです。(スタッフ談)大型バスで親族や友人がやってきて、新郎新婦の登場時にはギャラリーが独特なアフリカンシャウトをして迎えたり、全然関係ない近所の子供たちが大量に見に来ていたりと、賑やかな一日でした。

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