2015年10月18日日曜日

震災の事とカンナムスタイル


 こっちで皆からshikoと呼ばれている。なんでもケニアでの最多数派の部族であるキクユ族でポピュラーな名前らしく、初対面のドライバーでも一発で覚えてくれるので、完全にshikoで定着しちゃった。

今回は食事や人について。

・食事
こっちはチャイがどこにでもありコーヒーを飲む要領でチャイを飲む感じ。砂糖たっぷり。ほとんど困らずしっかり食べていて、過去の研修生の話からも、太りそうな予感しかしない、、。「いっぱい食べてしっかり太れ!」と毎日言われる。すでにスタッフ宅にてウガリという専用の小麦粉をお湯で練ってつくるご飯代わりの物の作り方を習得。ブシアでは積極的に自炊に励もうと思います。

4月から新しく入った女性スタッフの1人が面倒を見てくれて、仕事終わりの旦那さんと共にナイロビ大の側のナイトマーケットや街中に連れ出してくれる。
私が来たことで恐らく彼らの生活のリズムを乱してるし、いつもは食べないような物を奮発してくれたりしているんだろうと感じるので申し訳なさも感じて断ったりもしたが、ナイロビで過ごせるのは短いのでホテルに閉じこもらず出来るだけ色々見ておきたいと思い、お言葉に甘えさせていただく。

家にも何度も誘われるので、オフィス最終日の金曜にお邪魔した。ウガリと旦那さんが仕事帰りに買ってきた魚のフライをトマトと玉ねぎのソースで和えてご馳走していただく。始めは変に気を使って居たけど色々話していくうちに、当たり前だけどやっぱりアデオのスタッフらしく、聡明でしっかりした人で、変に身構えるのも可笑しいなと思い直し、日本のことや自分のこと、気張らず色々話してみた。スワヒリ語の曲を教わり、何か日本の音楽をと言われてiphoneに入っている日本の曲が一曲だけ、東北の復興支援ソング”わせねでや”で、まさかのアフリカの民家で加藤登紀子爆音再生というなんとも不思議な空間に。笑 
3.11の事も耳にしていたようで、震災の話も少しだけどしました。

どうしてもアフリカというと途上国の人という自分の勝手なイメージが先行して、色んなことに自分で制約をかけちゃっていることに気づかされる毎日です。もちろん教育が受けられない人や貧しい人も居るんだけど、異なるバックグラウンドを持った人にも、自分の考えに当てはめて考えず、素直に向き合うことが大切だと感じます。

ナイロビではスタッフ始め、皆とても気さくで明るく、そのホスピタリティーに感動します。ほかのケニア人をほとんど知らないから分からないけど、基本的に「私はケニアでのお母さんよ、ケニアにきたらここがあなたの家族よ」スタンス。
すでにナイロビを離れるのが寂しいです。

明日の早朝にはブシアに向けて出発。あっという間の4日間だったな。
最終日、女性スタッフ達と


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