2015年11月7日土曜日

お葬式と宗教とケニア人



このところ毎晩ホテルの近所の広場で夜から翌朝までクラブミュージックのような音楽が大音量で流れており眠れず。聞いたところ、葬式の儀式の一環であることが判明。少数だけれども現地のクリスチャンの慣例らしく、埋葬前夜に夜通し音楽を流し歌って踊ることで弔うというのが文化のようです。そしてブシアにきてこの3週間結構な日数音楽が流れていたことに気付く。
日本でももちろん人は亡くなっているし、自分の市町村など身の回りでどのくらい人が亡くなっているのかを身をもって感じる機会は日本に住んでいたらほとんど無いと思います。医者だったり、自分の親戚や知人でもない限り、新聞の訃報欄で知るくらいです。
しかしケニアの場合はそういう場を耳にしたり目にしたりする機会が明らかに多い気がします。特にブシアのような農村部の小さな町だと。

先週もオフィスの近くの水道局で働く50代の女性が、職場内のベッドで朝突然死しているのが発見されるということが有りました。急にお葬式に参加しろとオフィスのスタッフに言われて行った所、お葬式前の亡くなった現場をみに行くということだったらしく、予期せずショッキングな思いをしてしまいました。日本では見ず知らずの他人の死を見に行くことはありませんが、ケニアではごく普通の事のようで、すごい量の知人や友人やおそらく私のように彼女と全然関係の無い人まで大量に彼女のベッドルームに見に来ているというなんだか受け入れ難い状況でした。心臓麻痺のようだけど、毒殺(まさか)なんかの可能性もあるから検死のために警察を呼んでいると言っているにも関わらず、亡くなって23時間は経っているのにそれらしい人が一向に来ず。蒸し暑い気候の中これでいいのかと一人焦りました。つい数時間前に亡くなって、まだ医師も警察も確認に来ていない遺体がそこにあるのに、すでに葬式費用をどう持ち合うかの議論してるし。雰囲気は重いものの、どこか皆淡々としているというか、すでに冗談をいって笑っている人もいたりと、日本で感じるような雰囲気とは全く異なっていて複雑。
今週お葬式に参列しました。日本でも香典は持っていくけど、ブシアでは司会者がおもむろにバケツを持ってきて参加者がバタバタと数百シリングづつ入れていく感じ。「誰々は幾らくださいました!ありがとうありがとう!」みたいな実況がされるし、いろいろオープン。人の死に遭遇することに決して慣れているとは言えないけれど、受け止め方が日本とは異なるなと感じました。クリスチャンが大半ということも違いの一つだと思うけど、そうならざるを得ない環境の厳しさ、貧しさというか、逞しさというかしたたかさというか、まだまだつかみきれないケニア人です。


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